学校概要
名称 | 佐久市立野沢小学校 |
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所在地 | 〒385-0043 長野県佐久市取出町472−3 |
電話番号 | 0267-62-0109 |
FAX | 0267-62-5198 |
位置 | 標高680m、東経138度28分、北緯36度13分 |
児童数 | 503人(令和6年4月1日現在) |
職員数 | 47人 |
アクセス
周辺地図
アクセス
電車の場合 | 最寄り駅 JR小海線 中込駅より 徒歩1.8km |
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車の場合 | 上信越自動車道 佐久インターチェンジより 8.4km 中部横断自動車道 佐久南インターチェンジより 3.9km |
沿革
昭和58年4月 | 統合小学校開校式 佐久市立野沢小学校と称する |
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7月 | プール竣工引き渡し式 |
10月 | 第1回いなご取り |
昭和59年3月 | 校歌・校章発表会 |
平成元年3月 | 野沢の鐘「ふるさと」のメロディとなる |
平成4年 | 野沢小学校開校10周年記念事業 |
平成5年4月 | 南部給食センター新開設 |
平成7年8月 | 第1回PTAバザー実施 |
平成10年12月 | パソコン教室工事開始 |
平成11年8月 | パソコン教室にパソコン設置 |
平成12年6月 | プール浄化槽取替工事終了 |
11月 | ボイラー竣工検査引き渡し |
平成13年5月 | 全校舎2階、3階に落下防止用手すり設置 校地内用水のふた設置 |
10月 | NHK合唱コンクール全国大会出場 銅賞受賞(合唱部) |
12月 | こども音楽コンクール東日本大会出場 最優秀賞受賞(合唱部) |
平成14年 | 野沢小学校20周年記念事業 |
12月 | こども音楽コンクール東日本大会出場 最優秀賞受賞(合唱部) |
平成18年 | 野沢の鐘 設置(卒業記念品として) |
平成21年 | こども音楽コンクール東日本大会出場 文部科学大臣奨励賞受賞(合唱部) |
平成24年 | 野沢小学校30周年記念事業 |
平成25年 | こども音楽コンクール東日本大会出場 文部科学大臣奨励賞受賞(合唱部) |
平成26年2月 | 記録的大雪(積雪80cm) |
平成30年 | トイレ改修工事(北校舎1,2階) |
令和元年 | エアコン取付工事(全学年普通教室、特別支援学級教室) |
10月 | 台風19号直撃。野沢地区では、原地区の千曲川堤防が崩れ、住宅と店舗が流される被害、また大沢地区では河川の氾濫による被害があった。野沢小学校は、避難所となり、およそ120名の地域の方が体育館に避難された。 NHK合唱コンクール全国大会出場 優秀賞受賞(合唱部) |
12月 | TBSこども音楽コンクール東日本大会出場 最優秀賞受賞(合唱部) 合唱連盟全日本合唱コンクール全国大会 金賞受賞(合唱部) |
令和2年1月 | トイレ改修工事完了(北校舎3階、中校舎2階、南校舎1,2階) |
3月 | 新型コロナウイルス感染拡大のため、3月2日より臨時休校となる |
4月 | "新型コロナウイルス感染拡大のため、国に緊急事態宣言が発令され、4月13日より5月31日まで臨時休校措置をとる。 4月16日から5月29日までの間、支部を2グループに分けて分散登校を実施。5月18日より給食再開" |
7月 | 授業時数確保のため1学期を7月31日まで延長 |
令和3年11月 | NHK全国学校音楽コンクール全国大会 銀賞受賞(合唱部) 合唱連盟全日本合唱コンクール全国大会 金賞、所沢市教育委員会教育長賞受賞(合唱部) |
令和4年1月 | こども音楽コンクール 文部科学大臣賞受賞(合唱部) |
校歌
野沢小学校校歌 作詞:植松 君子 作曲:藤森 章 |
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野沢の鐘 作曲:小松 葉子 作詞:野沢小職員 |
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野沢の鐘にのぼってみよう のびのび首を伸ばしたら どこまで遠くが見えるかな いなごをとった緑の田んぼ 山のむこうは夢の海 目を閉じるとお日さまのにおい 胸いっぱいに吸い込むと 風になって空を飛んだよ 風になってどこまでも 野沢の鐘にのぼってみよう のびのび背伸びをしてみたら どこまで遠くが見えるかな 地球のおへそが見えるかな |
「野沢の鐘」PTA新聞より
学校のシンボル「野沢の鐘」についてインタビューしてみました。
Q.どのような経緯で「のざわのかね」があるのでしょうか?
A.資料によりますと昭和四十七年に住民の寄付と二年間の卒業記念品費で作られたとあります。旧校舎の屋根に矢倉を組んで取り付けられ当時はこの辺りで最も高い塔で住民に時を告げていたそうです。
今ある野沢の鐘は、平成18年度の卒業生からの記念品です。
Q.「のざわのかね」という歌があるそうですね。
A.平成14年度に開校20周年として様々な事業を行いましたが、その一つが「のざわのかね」でした。その頃、学校の展望台などは危険なので近隣校では立入禁止となっていましたが、野沢小でも児童はもちろん先生方も入らない場所となっていました。その場所を当時の土屋盛夫校長先生が、児童も先生も自由に行ける場所にしようと提案し、「のざわのかね」の歌もその時に作りました。
倉庫になっていた野沢の鐘展望台を片付け、実際に、のざわのかねに登った子ども達や先生方の声を集めて歌詞を作り、メロディーをつけて「のざわのかね」の歌ができあがりました。20周年の式典には全校みんなで歌いました。それから「のざわのかね」は第二校歌として歌いつがれています。その年の卒業記念品として職員玄関レリーフが贈られました。
Q.鳴るのを聞いたことがありません。いつならすのですか。
A.卒業式です。全校で卒業生を見送るときに、BGMと共に鳴らしています。
Q.「のざわのかね」はいつ歌うのですか。
A.全校集会で体育館に集まる前に歌っています。指揮・伴奏は六年生が当番で進めてくれています。
校章について
左右対にある二つの三角形は、浅間山、蓼科山を表しています。
野沢小学校からは北に雄大な浅間山、遠く西に八ヶ岳の峰々がそびえ、右端に位置する蓼科山が見渡せます。
三角形は同時に下の鱗と重なり、鯉の尾ひれを表します。
水面に踊る鯉のような伸び行く子どもたちにという願いを表しています。
そして中央は中国やロシアをふるさととする桜の木です。
魯桃桜と呼ばれ、寒さや苦しさに負けない、
やさしく豊かな心をもって欲しいとの願いが託されています。
野沢の鐘について
野沢の鐘の歴史
曲も、初めはウエストミンスターの鐘の音で、途中から「希望」という曲に変更したようです。当時はこの辺りで一番高い塔で、半径二キロ四方に響き渡り、野沢小学校のシンボルとされていたといいます。
しかし、子どもたちや地域の皆さんは、野沢小学校のシンボルとして野沢の鐘に強い愛着を持っていました。平成十四年は、新野沢小学校の二十周年でしたが、それを記念して、 第二の校歌とも言える「野沢の鐘」が先生方の手で作詞作曲されました。この歌は明るく歌いやすく人気があり、今でも集会や行事の度に歌い継がれています。